コラム16
 
アッサムの問題(前編)

イギリス人が、お茶をインドで栽培しようと思った動機の一つに、労働賃金の安さがありました。

日本でも製造業の工場が海外に移転されているように、これは経済原則から言って当然のことなのですが、植民地支配から脱した今でも、インドのような発展途上国では、低賃金が大きな問題になっています。

わかりやすく説明すると、戦前の日本の農村と同じように一部の地主さんたちが収益の大部分を取り、小作人たちは食べるのが精一杯の厳しい生活を強いられている状況が、インドでは当たり前になっています。

アッサムには、茶園がおよそ840あり、そのうち大規模な茶園は約300です。その大規模茶園のオーナーの全てが、1500キロも離れたニューデリーなどのラジャスタン州系の人々と言われています。

彼らは、アッサムには住まない「外部」の人たちで、茶園からの収益が地元経済に還元されることもありません。

アッサムはアッサム人のものだ! 我々は独立して、利益を平等に分配しよう! というのが労働者やテロリストたちの主張です。

アッサム地方はブータンやミャンマーとの国境に近い、インドの最果ての地ということもあり、あまり警察権力が及びません。そこで茶園オーナー関係者や外国人を誘拐して身代金を奪ったり、殺す事件が多発しています。

そのため、全ての茶園のオーナーは自身や親族関係者の身の安全のため、そして茶園が無事に運営できるように、テロ組織に金を払っています。その支払いは、安全税(safety tax)と呼ばれています。(つづく)

(山内)

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