ダージリン茶園訪問記 中    
 

     旅行中は、自宅にいるときとは違って、夜中にやることがないせいで、いつも必

          然的に早寝早起きになる。そのせいで翌朝は、7時に目が覚めた。

          8時にお茶を飲んで、それからしばらくして、アニールがバイクで僕を迎えに来て

          くれた。土曜に摘んだお茶の葉の加工をするため、日曜でも午前中だけ工場が

          稼動する。その見学だ。見学の後は、クリケットの試合を見物することになって

          いる。

          工場は、ゲストハウスから200mほど離れた2階建ての建物だ。門を入ると、早

          くも紅茶の葉の香りが漂っている。

          建物の中に入ると、あちこちにいろんな形で、加工された葉が置かれていた。深

          さ30cmほどの箱に入れられていたり、床の上に紙を敷いてその上に小さくカット

          された葉が山になっていたり、小さな金盥みたいなものに入れられていたりする。

          多分、すでに種類別に選別された後なのか、次の過程を待っているかしている

          のだろう。

          アニールの案内で木製の階段を二階に上がる。工場内は床が板張りで、計りは

          分銅式、金属製品は鉄とブリキが多い。日本の感覚でいうと、小津安次郎の「東

          京物語」の世界にいるような感じだ。初めてなのに懐かしい。妙に落ち着く。

          アニールが、紅茶製造の説明をしてくれた。写真を見ていただくと一発でわかる

          のだが、ここで改めて説明すると、
 

          作業1・萎凋(いちょう)‥‥摘まれた生葉は、下から送風をふけて一晩かけて陰干

          しされる。そうやって水分を飛ばして葉がしんなりしてくる。
 

          作業2・揉捻‥‥しんなりとした葉を機械で揉捻する。弱く10分、普通15分、強く15

          分という風にいろいろアクセントをつける。ここで葉の組織が潰れ、酸化発酵の

          触媒になるポリフェノール・オキシターゼ、バー・オキシターゼが出て酵素と結合

          して活性化し、ポリフェノール化合物、ペクチン、葉緑素などが酸化発酵を始める。
 

          作業3・発酵‥‥械によって揉捻された葉は、床に2、3センチほどの高さに広げ

          られ、1,2時間広げて酸化発酵がすすむのを待つ。発酵時間が短か過ぎると、

          渋みが強く青臭い感じがし、反対に長すぎると濃厚な重い味になり、水色も悪く、

          フルーティーな瑞々しい味わいが失われてしまう。
 

          作業4・乾燥‥‥高さ2mちょっとの機械に葉を入れて、高温の熱風で乾燥させる。

          この工程の後、葉の水分は3%前後まで下がる。
 

          作業5・等級分け‥‥ふるいにかけて、葉の大きさによってOP(オレンジ・ペコー)、

          BOP(ブロークンOP)、ファニング(長さ1.2mmの葉)、ダスト(粉状)と何種類かに

          分けられる。この工程の場所が一番うるく、粉状のダストと呼ばれる葉が空中に

          浮いていて、それを扇風機であまり飛び散らないように制御している。
 

           お茶の製造過程は大よそこんな感じだ。僕のような素人にも、リアルで、目で見

          て非常にわかりやすい。テレビやパソコンの液晶モニターの工場を見学したら、多

          分こうはいかないだろう。
 
 

          それからアニールの誘いで、クリケットが始まる時間まで、彼が住む宿舎で休む

          ことになった。その宿舎は、工場のすぐ隣にあって、若手の技術者が3人で住ん

          でいた。

          部屋数は8畳間ほどの広さが4つ。庭にはバレーコートがあった。そこでアニー

          ルが、彼の婚約者の写真を見せてくれた。こういうオヤジくさい男にすでに婚約

          者がいること自体が驚きだ。写真を見てみると、日本人のような外見のネパー

          ル系の人で、アンボーティアからクルマで1時間半ほどしたところで小学校の教

          師をしているという。彼女とは幼馴染で、14歳の頃からつきあっているそうだ。

          そういうことを僕に一通り説明した後、僕の目の前で彼女にニタニタしながら電

          話をかけていた。勝手にしろだ。

          「そんな風に電話をかけるぐらいなら、直接会いに行けばいいじゃないか。今日

          は休みなんだろ」と僕が言うと「遠いし、それに電話もあるから」と言う。せいぜ

          い会うのは2、3ヵ月に一度ぐらいらしい。そのくせ、彼女と同じくらい遠いところ

          にいる母親には3週間に一度は会いに行くというから、こいつはマザコンかもし

          れない。

          「俺はママをものすごく愛している、もしママが死んでしまったら俺はどうしていい

          かわからない」ということを涙をうっすらためて言っていたし。
 

           朝食をアニールの宿舎で済ませて、それから、またバイクに乗ってクリケットを

          観に行く。特にクリケットの試合に興味があるわけではないのだが、茶園の仕事

          が休みの日曜なので、他にやることがないのだ。

           クリケット会場は、茶園の外れにあった。周囲には労働者の家が並んでいる。

          平地といえども、全部が全部茶畑になるわけではないようだ。サッカー場が一面

          は取れる程の広さのグランドには、すでにラインが引かれ、見学者用のパイプ

          椅子が20脚ほど並べられていた。茶園労働者の間で幾つかチームがあり、今日

          は大会の決勝戦が行われるとのことだった。

           試合が始まる前に、アニールと一緒にクリケットの真似事みたいなことをやって

          みる。野球と基本的にはかなり共通している点もあるが、バッターの構え方や投

          げ方が微妙に違っていた。僕がボールを投げると、やはりどうしても野球風に腕

          が60度ほどに斜めになってしまう。クリケットでは、野球のように肘を曲げて腕の

          力を使って投げると、球が重いために肩が壊れてしまう。そのため、腕は地面と

          垂直になるように真っ直ぐに伸ばし、腕をグルンと一回転させ、遠心力を利用し

          て投げるのだ。

           試合が始まるとどういうわけか、僕は観客席の一番見やすい椅子にアニール

          とともに招かれた。4,5人のオヤジさん達と握手を交わし、長さ50センチ、幅3セ

          ンチほどの絹の帯をもらった。全員、その絹の帯を肩から下げている。「これは

          何だ」とアニールに訊くと、どうやら仲間の印か何からしい。詳しいことはよくわか

          らない。

           試合が始まると、投手が打者を打ち取ったり(三振?)、打者がヒットを打った

          りする度ごとに、観客席で静かな拍手が起こる。たかが片田舎のクリケットの試

          合といえども、緊迫感が漂っている。でも、僕はクリケットのルールはほとんど知

          らないし、あまり興味もないので退屈だ。

           それで僕は、近辺を散歩したくなってきた。できれば人々と軽く交流もしたい。

          「この近辺をぶらぶら歩き回ってくるよ」とアニールに言うと、(予想通り)アニール

          は自分も一緒に行くと言う。

           実を言うと、昨日初めて会って以来、一貫してアニールは僕の単独行動を許さ

          ず、トイレに行く以外どこに行くにも必ず着いてくるのだ。それで、こっちに来い、

          これを見ろと誘導したり細かな説明を始めたりするので、かなりイライラが溜まっ

          ていたのだ。正直なところ、もう少しでキレそうだ。

           僕は思いっきりイヤそうな顔をしてみせてから言った。

          「あのさ、たまには、オレも一人でそこらを歩いてみたいんだよ。キミはマネー

          ジャーからオレを監視するよう命令されてるわけじゃないだろ?」

           ようやく解放されて、ホッとして集落を歩き始める。時折、庭先で野菜を手にし

          ているおばさんと目が合って、びっくりしたような顔をされたり、小さな子供にニ

          コっとされたりする。小さな商店を覗き、池の魚を眺める。自分の好きなときに

          足をとめ、好きなときにまた歩き出す。僕はいつも外国の知らない土地に着い

          たら、必ずあてもなく気ままにブラブラ歩くことにしている。それが僕のやり方な

          のだ。誰かに気を使ったり、ペースに巻き込まれるのが続くのはしんどい。

          そうこうして、労働者住宅の間をブラブラと歩いて10分もしないうちに、イヤな気

          を感じてフッと後ろを振り返ると、白いスニーカーを光らせてこちらに来るアニー

          ルが見えた。

          予想はしていたが、やっぱりどうしても落ち着かないのだろう。悪気はないのは

          わかるが、もういい加減にして欲しい。「いろいろ教えてやるよ」と好意を強調す

          る割には、自分が興味ある場所にしか連れていかないし、僕がどう思おうと自

          分にとって退屈な場所には一分もいたくない奴なのだ。

          「おーい、アキラ、そのままダージリンまで歩いて行く気かい? 俺がいい所に

          案内してやるよ」と遠くからアニールはニコやかに言う。

          「はぁ‥‥」と僕は腰に手をあて、首を振りつつため息をついた。それから一度

          大きく息を吸って言った。

          「どうしてだよ? 何にも悪いことなんかしてないだろ。一人にさせてくれよ!」

           アニールは、足を止めて少し悲しそうな顔をする。

          「でも、キミはお客さんじゃないか。お客さんを放っておけない。それに俺はキミ

          が好きなんだよ」

          「はぁ‥‥」

          実をいうと、インド人にはこういうタイプの人が珍しくない。自分が相手と話した

          いのだから、相手も自分と話したいはずだ、とか自分がこれをしてあげれば相

          手が喜ばないはずがない、というような一方的な思い込みが激しいタイプがイ

          ンド人には多いのだ。どういう精神構造をしているのか、いい加減うんざりして、

          はっきりと「結構です。やめてください」と意思表示しても、それがなかなかわ

          かってもらえない。

          なんだか気分が悪くなって、その場にしゃがみこみたくなったが、そうすると、ア

          ニールに弱みを見せるような気がして止めた。

          僕が唯一できる抵抗として、5、6分一緒に散歩しただけでゲストハウスに帰るこ

          とにした。気分が悪いと言えば、彼としてもどうしようもない。それに、今日カル

          カッタ行きの夜行列車に乗るラーメン&モナビ夫妻の見送りをしたいというのも

          あるし。

           ゲストハウスに戻った僕の顔を見て、モナビは「なんだか随分疲れてるみたい

          ね」と言った。

           それで僕はアニールのことを(名前は出さずに)説明した。好意は嬉しいのだ

          が、ああいう奴はたまらんと。

          「でも、それはあなたのことを思って、もてなしてあげたいって思ってるからだと

          思うけどな」と暗に僕が逆ギレしているかのような口ぶりでモナビは言う。

           どうやらインドでは、アニールのようなタイプは親切で情が厚いということで一

          定の評価を受けるみたいだ。しかし、インドでは受け入られる行いだとしても、

          僕としては不快であることを表明しないわけにはいかない。

           
           僕とラーメン&モナビ夫妻がそのままトークしていると、「旦那様、おクルマの

          用意ができました」とムトゥが来た。

          「明日から仕事だと思うとウキウキしてくるでしょう?」と僕が言うと、「ああ、最高

          だね」とラーメンは苦笑いを浮かべた。二人とは偶然の出会いで、純粋に交流

          ができて楽しい時間を過ごすことができた。インド人に限らず、あんなに長い時

          間外国人とトークした経験はほとんどない。特にモナビと話していて、近年インド

          人がコンピューター技術者として有能ぶりを世界的に発揮している理由もちょっ

          とだけわかる気がした。

           僕たちはガッチリ別れの握手をした。

           ムトゥがクルマに積み込んだ荷物のバッグを見ると、意外と古くて地味なもの

          だった。日本人の学生が持っているバッグの方がよほどキレイだ。

          「インドでは、一番の上流階級は財閥系の企業に入る。僕はそれよりは下だか

          ら公務員になった」とラーメン笑っていたから、エリートと言えども、意外と生活

          ぶりは質素なのかもしれない。
 

           二人を見送ると、広いゲストハウスにゲストは僕一人になった。気楽な一方、

          どこか寂しい気もする。

          テラスのソファでぼんやりと周囲の山並みを眺めていると、ムトゥが気を利かせ

          て紅茶を出してくれた。

          明日はチャモンか、どんなところなのかなぁ‥‥などと考えつつ、ズ、ズ、ズと和

          式に紅茶を飲んでいたら、どこかからバイクのエンジン音が聞こえてきた。確か

          めるまでもなく、アニールだ。僕もやることがないが、こいつも同じらしい。

          「いやー、どうしてるかなと思って。なんだか疲れている様子だったし」とアニール

          は僕の向かいのソファに座った。多分、彼にとって煙たいエリート夫妻が出発し

          たのを確認してきたのだろう。

           アニールは、つい1時間前にどことなく気まずい雰囲気で別れたのに、また何

          事もなかったように笑顔で接してくる。モナビに諭されたせいか僕もさっきはちょっ

          と態度が冷たかったかなぁ、とちょっと後悔しかけていたところだった。こういうカ

          ラッとした、アニールみたいな何も考えないタイプはつきあいやすい。日本人同

          士だとどうもジメっとしてしまうことが多いが‥‥。こいつにもいい所はちゃんと

          ある。

           エリート夫妻が僕に残してくれたピスタチオを二人で食べながら、まったりとトー

          クをした。暗くなりかけて、もう今日はどこかを見て回る気もないし、どうせ明日

          になれば、他の茶園に行ってしまうのだ。

           僕が日本での仕事のことを一通り話したあと、

          「アキラ、キミはどうして結婚しないの?」とアニールは僕に訊く。インド人は、結

          婚の話が大好きなようで、行く先々で結婚について訊かれた。

          「あなたは結婚はしてるの?」

          「してない」

          「なんでしないんだ?」

           という風に。

          仕事を離れた話になると、どうしてもこういう身近で共通した話題に行き着くんだ

          よね。これはインドに限らず、日本でも同じだ。そういえば去年、香港の宿で会っ

          たイギリス人とは、親の老後問題をしんみり話したしね。

          それに対しては「日本の、特に都市部では僕くらいの年齢(32歳・当時)で独身な

          のは珍しくないし、実際、身の回りにはそういう人ばかりなので、結婚のことはほ

          とんど考えたことがない」と僕は答えておいた。

          実際に、日本にいる僕の友人には「結婚なんてダサイ」という強固な「偏見」を持

          つ「進歩派」が多いのだ。赤ん坊を抱えたシングルマザーの母子家庭だって何人

          も知っているしね。今では、子供が欲しくても別に結婚する必要はないとさえ考え

          ている。結婚制度ができる前から人間はちゃんと子供を作っていたんだし。ここ

          らヘンの意識に関しては、僕はヨーロッパの「進歩派」にかなり近いと思う。それ

          に対する異論はたくさんあるだろうが。

          「でも、このままずっと独身でいる気なのか」と彼らは更に訊く。

          「そんなの分からないさ。じゃあ、一度結婚したら死ぬまで幸せに一緒に暮らせ

          る保証があるのかい」とはぐらかしておいた。

           彼らと話していると、結婚という制度に対してかなり考えが違うことに気づく。イ

          ンドでは、結婚はほとんど人間として果たさなければならない一種の義務のよう

          に神聖視されているようで、「結婚はしたくない」と言うのはなんとか認められても

          「結婚なんて下らない」と価値を貶める種類のことを言うと、感情的な反発を受け

          ることがある。

           アニールは、愛する彼女と来年結婚することができて、非常に幸せだと言う。

          更に彼は、彼女一人を愛してきたので、これまでずっと純潔を守ってきたという。

          全体の70%がお見合い結婚だというインドでは、大都市でない限り未婚で同棲

          をするのは不可能だし、婚約者といえども、結婚するまで床をともにすることは

          ないらしい。日本では明治期に、ヨーロッパで発明されたロマンチックラブ・イデ

          オロギーが流入してきたことによっていわゆる貞操観念が重要視されるように

          なったが、インドではどうなのだろうか。やはりイギリス植民地の影響なのか、そ

          れともヒンズーの教えに基づくものか。

          二十数年間、男の操を守り通してきたアニール青年としては、当然、婚約者の

          彼女にも身の純潔を求めている。

          「じゃあ、もし彼女が処女じゃなかったらどうすんのよ? え?」と僕は訊いてみ

          た。

          「そのときは射殺するさ」と真剣な顔をしてアニールは言う。
 

          えっ、射殺ですか?! 「真の愛」を信じ、自分が売春婦も買わずに禁欲的に暮ら

     してきただけに、怒りも激しいのか。

          「お前は嫉妬深いなぁ。でもさ、人間て弱いものだろ。寂しかったり、切ない時

          だってあるじゃないか」と僕は諭すように言った。

          「うん、それはそうだ、人間は弱い。でもこれは嫉妬じゃない。インドの習慣だ」

          アニールの意思は飽くまでも固い様子だった。それにしたって殺すことはないだ

          ろ、と僕などは思うのだが。

          日本でも、(アニールが言うところの)インドと同じ「習慣」があったらどうなること

          だろう。カンボジア並みの大虐殺が起きるのは間違いない。

           日が暗くなりかけた頃、アニールはバイクに跨って宿舎に戻っていった。痛い

          ほどの握手をして「また来いよな。待ってるよ」と言ってくれた。アニールには、う

          んざりすることも多かったが、彼のおかげで茶園の人と交流ができたり、いろい

          ろと便宜を計ってくれた。感謝しなくはいけないなぁ。

           7時頃になると、お腹が空いてきたのでムトゥに頼んで、早めに夕食を作って

          もらった。僕一人のために手間をかけるのだし、「旦那様」扱いをされるのは苦

          手なので、僕もムトゥと一緒に皿やコップをテーブルに運んだ。昨日と同じ、イン

          ドの野菜カレーだった。カレーは、最後までスパイスにあまり馴染めなかった。

          嫌いではないのだが、日本のカレーの方が僕は好きだ。それにしても、インドで

          はとにかくナンがおいしい。

           8時頃になって、部屋で休んで(ゴロゴロして)いると、ムトゥがドアをノックして

          「旦那様、こちらにいらっしゃってください」と呼びにきた。何かと思って広間に出

          てみると、口ひげが濃い50年配と思われる男が立っていた。

          「こんばんは」と言って我々は握手した。「これまで挨拶に伺わなくてはと思って

          はいたのですが、何分忙しくて来ることができず失礼しました。茶畑や工場の方

          は、もう見学しましたか。何かあったら知りたいことがあったらご説明いたします

          よ」

          この人は、アロク・ジャクモラさんという、茶園のナンバー2の人だ。いろいろ話

          をしているうちに、「アロク」というのが「明かり」という意味だということを知って、

          僕も「明」という名前なので「同じ名前じゃないですか!」ということで、一気に打

          ち解けた。50年配に見えたのが、実は31才とのことだった。髭があると、どうし

          ても年寄り老けてみえる。

          せっかくの機会なので、僕はアンボーティア茶園が有機栽培を始めた動機とバ

          イオダイナミック農法とは何なのか、という質問をぶつけてみた。

          「やはり有機栽培を始める前までは、他の茶園同様に農薬と化学肥料を使用し

          ていました。ダージリンに茶園は80ちょっとありますが、そのうちで有機栽培をし

          ているのは、16茶園です。一番最初に始めたのは、マカイバリ茶園でした。アン

          ボーティアが有機栽培を始めたきっかけは、お茶の生産量が年々落ちてきたの

          が大きな理由です。あまりに化学肥料に頼りすぎていたので、土がぼろぼろに

          なり、ほとんど死んでいました。土がモロくなって、強い雨がふったら表土が流

          失してしまうんです。それに、農薬を使っていたせいで、まず周囲の草や木に住

          む虫が死にました。その死んだ虫を食べた鳥までも死にました。こんな、次々に

          生物が死んでいく状況では、ここで働く人たちにとって健康に有害なのは間違

          いありませんし、農薬は地下水にまで染み込んで我々この茶園に住む者の健

          康を脅かします。有機栽培に踏み切ったのは、労働者の健康問題が大きいです

          ね。

           バイオダイナミック農法というのは、自然の力を最大限に引き出すためのもの

          です。もちろん、農薬や化学肥料は使いません。

           肥料は、土作りのために非常に重要です。牛糞と草を混ぜ、それに更に天然

          の調合剤を入れて2ヵ月かけて作ります。そして畑の土中には固形肥料を埋め

          ます。その固形肥料は、イラクサや、たんぽぽ、ナラなどで作られてものが6種

          類あります。

           農薬の代わりに茶園に自生している草を2日間ほど水につけて、それを撒いて

          います。月に4回撒きます。虫を殺すのではなく、追い払うのが目的です。害虫と

          呼ばれる昆虫などは、確かにお茶の成育に悪影響を及ぼすわけですが、すべて

          の植物や生物は、生態系の中で繋がっています。お茶の生育に良くないからと

          言って、昆虫を殺すことでその生態系の中の循環を崩すのはよろしくないのです」

          「それはインドの伝統的な思想に基づく考えなんですか」と僕は質問した。

          「いえ、これは特にインドの思想というのではなく、シュタイナーの思想に基づいて

          いますね。シュタイナーのことをご存知ですか? (筆者注:ルドルフ・シュタイナー。

          1861年ドイツ生まれの思想家。教育、農業、建築、医学、宗教などの幅広い分野

          で活躍した。目に見える物質世界の背後に、同様な客観を持った精神世界があり

          、二つは一体のものであると考えた。)シュタイナーの思想に基づいて、我々は、

          自然の力を最大限に引き出すいろいろな工夫をしています。自然の摂理とサイク

          ルに従って栽培するのは非常に重要なのです。たとえば種を蒔くときは、月が満

          月に向かっている時期にやります。月が満ちていく時期は、植物の中にも成長エ

          ネルギーが豊富になるんです。逆に刈り取りをするときは(お茶の場合は摘み取

          りですね)月が次第に欠けていく時期にやるのがいいんです。この時期に収穫し

          た作物の方が明らかに質がいいんです」

           大よそこんな風にアロク・ジャクモラ氏は熱心に語ってくれた。文字にしてしまえ

          ばスラスラと我々の間で会話が進んだようだが、実際は、よくわからない点を質

          問したり、絵や図を書いてもらったりと時間をかけて、身振り手振りを交えて説明

          してくれた。僕の農業に関する予備知識の無さと英語会話力の問題で、ちょっと

          怪しい部分もありますが‥‥。

          「じゃあ、有機栽培を始めてから大変でしたね」

          「ええ。有機栽培に切り替えたばかりの頃は大変でした。知識としては、私たち茶

          園の技術者も方法論を知っているわけですが、実際的な経験がありませんでし

          たから。手探りの状態で一つ一つレンガを積み上げていくような感覚です。いろ

          いろな試行錯誤がありましたし、アンボーティアに働く全ての人たちの生活がか

          かっているわけですから精神的な重圧も相当なものでした。朝は5時に起きて茶

          畑を回り、1日20キロ歩いてますから肉体的にもハードです」

           そう答えながらも、アロク氏の表情は自信と満足感に溢れていた。なんでも、2,

          3年前に有機栽培の指導で日本に呼ばれて、2ヵ月ほど日本に滞在したことがあ

          るらしい。その際に、このまま日本に残ってくれはしまいか、と誘われたが断った

          そうだ。給料はかなり良かったそうだが‥‥。なんで日本で働こうとしなかったん

          ですか、と僕は質問してみた。

          「うーん、正直言って給料はかなり魅力的でしたが‥‥。私はアンボーティアを愛

          していますし‥‥。まぁ、結局はそういう運命ではなかったのでしょう。今後は、日

          本に行くかもしれませんし、他の茶園に移るかもしれませんが」そう言ってアロク

          氏は笑った。

           約2時間にわたってアロク氏に話を伺った。実際に農業をしているわけではなく、

          紅茶を売るだけの僕に有機栽培やバイオダイナミック農法の説明をしても、あまり

          意味がないんじゃないかと思ったかもしれないが、こうして大まかで(少し)怪しげ

          ながらも「授業」の内容を紹介することができて、アロク氏の恩義に報いることがで

          きたと思う。良かった。

           翌日はゆっくり朝食を取り、10時頃にアンボーティアの人にチャモン茶園までク

          ルマで送ってもらった。

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