コラム46
 
17世紀 -欧州- 憧れの東洋

前回のコラムで「硬質で割れにくく、光り輝くように美しい中国や日本の磁器は、ヨーロッパの人々にとって憧れのまとでした」と書きました。今回は、その背景を見てみましょう。

中世ヨーロッパの食文化は、料理の方法や素材、メニュー、食器類までが、現在の感覚からすると随分と粗末なものでした。

メニューといえば、肉の塩漬けやプディング、そして魚の干物で、それらを手で食べていたと言われています。

昔から、ナイフとフォークは一応あるにはあったものの、16世紀までは広く普及するまでには至っていませんでした。

ワインを飲むためのグラスも、当時は石かスズ製で、しかも一つのグラスを全員で共用していました。

ナイフは食事に呼ばれたときには各自のものを持参していき、フォークは共同で肉などを取り分けるときだけに使われました。

個人用のフォークの使用は16世紀ベニスから始まり、イギリスでフォークが一般的に使われるようになったのは1750年頃と言われています。

それまでは、フォークの代わりに指で料理をつまみ、そして指の汚れはボウルで洗い、ナプキンで拭いていたのです。

昔のヨーロッパ絵画は宗教画が主ですが、それらを見ると、多少当時の風俗を偲ぶことができます。

中でも、有名無名の画家によって繰り返し描かれてきた「最後の晩餐」は食事の途中の光景なので、参考になります。

http://www.kumorizora.com/bansan.html
(上のURLに下記の絵の画像があります。)
・13世紀ドウッチョの「最後の晩餐」
・レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)の「最後の晩餐」
・スペイン人フアネス(1523-1579)の「最後の晩餐」

これらを見ると、テーブルの上には皿が少なく、ナイフはあっても、フォークやスプーン、グラス類は一切ありません。

お茶が東洋から西洋に渡り、かの地に根付いたのは、お茶そのものの魅力はもちろん、洗練された陶磁器類の美しさとその実用性、お茶を飲む儀礼がヨーロッパの人々に眩しく、魅力的なものだったからなのでした。(山内)


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