コラム5
 
チャイの本場2

当メルマガ2号('00/10/27発行)で、どうやら日本に「チャイの本場」と呼ぶべき土地あって、それは大阪と神戸らしいということを書きました。今回は、その続編です。

この阪神間では、チャイの歴史が長く、喫茶店で通常メニューとして定着しています。そのずば抜けた浸透度と他にライバルと考えられる地域が見当たらないことから、ここが日本におけるチャイのルーツと言っていいでしょう。しかし、そこで疑問が湧いてきます。なんで、それが大阪・神戸やねん?

先日、その謎を解く鍵となる(かもしれない)重要な資料を発見しました。それは、『カルカッタのチャイ屋さん』(堀江敏樹著・南船北馬舎、税別1165円)という本です。堀江さんは、1936年生まれ。長年神戸で紅茶を扱う仕事をしていらっしゃる方です。

その本によると、堀江さんは1973年に阪神間で「紅茶の淹れ方調査」をしています。これは無作為に百軒の喫茶店を抽出して、どんな紅茶の淹れ方をしているか調べるものです。

漉しに茶葉を入れて、上からお湯を通すだけの濾過法やティーバッ法などいくつかの淹れ方があったのですが、その中で22軒が手鍋を使っていました。

そのうちの18軒は、鍋をポット代わりに使っていて、残りの4軒は手鍋で茶を煮出していました。つまり、百軒中、4軒がインド風に茶葉を鍋でグツグツと煮込む淹れ方をしていたのです。

そして、その4軒とも近辺にインド人が多く住む神戸市内にありました。堀江さんは、「1950年を前後として神戸や大阪の東区(現在の中央区)を中心に手広く商業活動をしていたインド人たちが、彼らが本国で日常習慣化していた煮出法によるチャイを日本の生活の場でも当たり前に実践していました」と書いています。

そうすると、戦後しばらして貿易関係の仕事で阪神間に住むようになったインド人の紅茶の飲み方が、徐々に日本人に伝わっていったみたいです。

僕などは、インド帰りのヒッピーが大阪で喫茶店を開いて、現地で覚えたチャイをメニューにしたのが起源ではないかと想像していたのですが、思ったよりも素朴な伝播の仕方でした。僕たちも「紅茶の歴史」の中に生きているんですね。

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