ダージリン茶園訪問記 後
 

                             チャモン編

           アンボーティアからチャモンまでの道は、再び幹線道路に戻り、ダージリンの方

          角に1時間ほど山を上り、そこから脇道に入ってさらに1時間半ほど行ったところ

          にあった。標高はアンボーティアよりもかなり高くなってきているようで、けっこう寒

          い。日本の関東地方でいったら秋のような気候だ。山を下りたニュージャイパイグ

          リ駅では、暑くて目眩がしたぐらいなのに。

           すれ違うクルマやバスは、地元の人たちで満杯だ。それらのクルマは、ディーゼ

          ルエンジンを使っているのか真っ黒な煙を吐き出して走るので、こちらまで気分が

          悪くなってくる。寂しい山道を歩いて行く人もポツリポツリといる。沢では、子供が

          洗濯をしていた。しゃがんだ姿勢まま、どこか不安げな顔でこちらを見つめる。

           何回か地元の人に道を尋ね、ようやくチャモンに到着。チャモンまでの最後の1

          キロの道は、茶葉の搬送がちゃんとできるのかと心配になるくらい、せまくてガタ

          ガタだった。

          僕をわざわざチャモンまで運んでくれたアンボーティアの人に100ルピー(約250

          円)ほどチップをあげ、握手して別れた。

           クルマを下りると、口髭を生やした、推定40代のアーリア系(つまり色が黒くて

          彫りが深いインド人らしい風貌の人々)の男性がニコやかに迎えてくれた。この

          人がマネージャーさんらしい。

           工場の事務所に招かれて、軽く自己紹介を兼ねて軽く懇談をした。コンピュー

          ターもしゃれた置物も何もない、殺風景な部屋だ。机と椅子と書類とペンしかない。

          「日本で、インターネットを使って紅茶の販売をしています」と大雑把にアンボー

          ティアでしたのと同じ自己紹介をした。

          こういう時は、自己紹介まではいいのだが、それから先がなかなか話題が続か

          なくて緊張する。マネージャーさんが、気を利かしてくだらない冗談をとばしたり、

          日本のことでも軽く訊いてくれたら助かるんだけど、この人たちは飽くまでお茶つ

          くりの職人タイプの人々なのだ。別に僕に対して特別な感情を抱いているわけで

          はなく、ただ単に話の接ぎ穂がなくて多少、困っている感じだ。

          多分、アメリカやオーストラリアなんかの訪問客だったら、ニコやかに場を盛り上

          げていくのだろうが、僕はまだこういうビジネス空間に慣れていない。

          先日会ったばかりのカルカッタにあるチャモン事務所の人となら、日頃メールの

          やりとりをしているから冗談口もたたけるかもしれないが、現場の茶園の人とは

          全く初めての接触だ。

          この、両者の間で沈黙が漂い、お見合い状態になった時に、思い切って「カル

          カッタの事務所にいる重役のA氏、あの人の頭はカツラですよね」と言いたくて

          本当はムズムズしていた。僕は、カルカッタで初めて彼に会った瞬間に「これ

          は?!」と疑惑を感じたのだ。話題としては比較的明るいから場の雰囲気が和

          らぐだろうし。でも、会っていきなり彼らの上司をネタにするのもどうかと思われ、

          ここは控えることにした。

          世間話はまだ早いと思い、僕はアンボーティアでしたような基本的な質問をする

          ことにした。まず、チャモン茶園の年間生産量、労働者人口、学校の数、病院の

          有無は?

          ここでは、細かい数字は割愛するが、規模の方はアンボーティアと比べるとかな

          り小さかった。僕が学校のことを質問すると、ネパール系の副マネージャーが

          「なんでそんな学校のことなんて訊くんですかね。そういう人はヨーロッパからの

          人に多いのですが」と不思議そうに言った。

          「先ほども言いましたように、僕は日本でインターネットを使って紅茶を売ってい

          るわけですが、できることであれば、現地の労働者が基本的生活を営むにあ

          たって、良い待遇を得ている茶園のお茶を販売したいと考えています」と僕は

          答えた。

          「じゃあ、『労働者に好待遇で、まずいお茶の茶園』と『労働者に悪待遇で、お

          いしいお茶の茶園』ではどちらがいいんですか」と副マネージャーさんは再び

          言った。いい質問だ。

          「まぁ、それは両方重要ですので、両方の条件が満たされたのが理想です」と

          僕は答えた。質問に正面からは答えていないが、どちらと割り切れるものでも

          ない。

          先日アメリカの有名ブランドの企業が(確かGAP)、メキシコかどこかで生産工

          場を持っていて、そこでは非常に低賃金で、しかも年端もいかない子供たちが

          劣悪な労働環境で働いており、人権団体はそのブランド製品をボイコットする

          よう呼びかけている、とかいうような記事を読んだ。特に欧米では、安くて品物

          が良いというだけでは、消費者の支持が得られにくい時代なのだ。日本の消

          費者で、目の前の商品の背景まで気にする人はあまりいないけれど、個人的

          に僕はちょっと気になる。

           有機栽培のことも質問してみる。

          「私達が、有機栽培を採用した理由は、主に経済的な理由です。農薬や化学

          肥料を使わない有機栽培で作られたお茶は市場価値が増すからです。収穫

          量は、以前より落ちましたが、それは仕方ありません」とマネージャーのチョー

          ドリーさんは簡潔に答えてくれた。

           有機栽培の技術的なことはお前に話しても仕方ないだろう、という雰囲気だっ

          たし、それはその通りというか否定できないので、それ以上の深い質問は控え

          た。

          一通りの質問が終わって、昼食を取るために宿舎に案内してもらった。宿舎は、

          マネージャーさんが住む住宅も兼ねており、ゲストが多い場合は、離れた場所

          にあるゲストハウスを使用するのだが、今日のようにゲストが僕と夜に到着す

          る予定の2名しかいない場合は、この宿舎を利用させるらしい。僕があてがわ

          れた部屋は、8畳間ほどの広さで一般家庭の雰囲気が漂う部屋だった。

          昨日は日曜で茶摘みが行われなかったため、茶葉を加工する工場は休業だっ

          た。それで僕が昼食を済ませると、早速、正副マネージャーと僕の3人で軽四

          駆に乗り、茶畑の見学に出た。

          チャモンは、クリケット場を持つアンボーティアと違い、基本的に平地がほとん

          どない完全な山地だ。そのため、どこを歩いても上りか下りのどちらかである

          場合が多い。これでは移動するだけでも大変だ。クルマは、軽四駆でないと上

          れない坂がいくつもある。
 

          アンボーティアのように比較的平地が多いところではあまり感じなかったが、

          チャモンの茶畑を見ると、こんな山奥の急勾配の土地でも開墾して樹を植え

          てしまう人間というのはすごいんだなと思う。これを欲望と呼ぶべきか熱意と

          呼ぶべきか‥‥。

          この角度が急な斜面に作られたお茶の樹を見ていると、素人目にも、土地が

          痩せて根つきが悪くなったところに雨が降ったら、あっという間に土壌が流れ

          てしまうことが容易に想像できる。

          時折、運転手の副マネさんが、お茶摘みをしている女性たちがいるところや

          見晴らしのいい場所でクルマを停めてくれた。そこで何枚か写真を撮らせて

          もらう。いつも見学者を乗せて回るコースが決っているらしく、クルマはゆっく

          りと効率よくいろんな地域を通ってくれた。もう何百何千回と同じことを繰り返

          して飽き飽きしているだろうに、丁寧に説明もしてくれた。

          時折、茶園の労働者とすれ違うことがある。そういうとき、労働者は「ハッ」と

          一瞬目を大きく見開いて、緊張した面持ちで両手を合わせて合掌の挨拶をす

          る。単に緊張というより、どこか恐れを含んだような顔だ。それを見て、チョー

          さんや副マネさんは、「うむ。よろしい」といった面持ちで軽く頷いていた。かつ

          ての日本の地主様と小作の関係もかようであったろうと思われる光景だった。

          単純労働者と管理のマネージャーでは、階級が違うみたいだった。

          茶畑の見学から帰ると、宿舎のソファに座って3人で世間話をした。チャモン

          といえば、紅茶通には日本でも知られたブランド茶園なのに、現場のNo.1と

          No.2が、まだ日が暗くなる前から僕なんかにこんなに構っていいのだろうかと

          心配になる。今日はもう二人は特に仕事がないのだろう。今は春摘みと夏摘

          みの間の比較的暇な時期なのか。

          「あのー、茶園には、どこの国から来る人が多いんですか」と質問してみた。

          訊いてどうなるというものでもないが、こういうのはちょっと気になるよね。

          早口でよくしゃべる副マネさんによると、日本、ドイツ、フランス、イギリス、ア

          メリカなんかが多いそうだ。その中でも特に多いのが日本とドイツで、この両

          国は買取量が群を抜いて多いという。日本の会社で最も買取量が多いのは、

          旧財閥系の某商社とのこと。それにしてもイギリスではなく、ドイツの紅茶消

          費量が多いというのは意外だ。ドイツ人も日本人が自分たちと同じくらいの量

          の紅茶を買っていると知ったら、同じことを言うのだろうけれど。

          国の話題が出たことで、話は日本人のことになった。なんでも、紅茶の買い付

          けや有機栽培に興味があって訪れる日本人の多くは全然英語が話せないん

          だそうだ。イギリス人やアメリカ人相手には(簡単で短いもの以外)全く会話に

          ついていけない僕が、「かなり優秀」と誉められるぐらいだから、他の大多数

          の日本人のレベルは推して知るべしである。そういえば、アンボーティアでも

          「あなたは日本人なのに、けっこう英語ができますね」と言われた。英語が公

          用語になっている遠いインドの茶園にビジネスか見学に来て、中1レベルの

          会話力しかないというのは、マネージャーさんたちも困ることだろう。中には、

          YesとNo以外一言も英語が話せない人もいたというから、「一体何しに来たの

          か」と言いたくなるに違いない。

          副マネさんが「日本の女性は結婚しても働きつづけるのか」と質問してきた。

          インドのインテリ層は、各国の女性の労働環境にも興味があるのだ。

          「日本では、多くの女性は結婚しても働きつづけますが、出産となったらまず

          大半が辞めますね。公務員でもない限り、育児休暇を取るのは非常に難しい

          からです。それに大半の女性は、コピー取りなどをさせられるばかりで、出世

          はできないんです。大学を出て、卒業後は仕事のキャリアを積んだ優秀な人

          材が多くいますが、彼女たちは仕事か出産退職かという二者択一を迫られ、出産

          後は主婦になって、自分の能力が生かせずに悩んでいる人がたくさんいます」

          という内容のことをつっかえつっかえ僕は答えた。

          「それは、残念ですね。インドでは女性の重役もたくさんいます。コピー取りを

          女性だからやらされるなんてこともありませんよ。もちろん出産後も働きつづ

          けるのが普通です」と副マネさんは言った。まったく日本人はひどいな、とでも

          言いたげな顔だった。

          でも、インドだって性差別はいろいろあるだろう、結婚の持参金が少ないから

          と嫁さんが殺されることだって珍しくないらしいじゃないか、と言いたくなったが、

          ここは黙っていることにした。互いに非難しあっても仕方ないし、日本の状況

          が決して誉められたものではないのは確かなのだ。

          彼らの話を聞いていると、日本人のイメージはあまり良くない。もちろん、正面

          切って批判をするわけではないが、会話の端々からなんとなくそれを感じる。

          まず第一に「日本人は冷たい」というのが定評らしい。そういえば、日本を具

          体的に知る外国人は、インドに限らずみな同じことを言う。イランに行ったとき

          は、イラン人も眉をひそめてそう言ってたいた。僕は日本人だからか、彼らの

          言うことが正直言って実感としてあまりよくわからない。

          日本人として日本に住んでいて大きな「世間」の内側にいると、 「世の中には

          冷たい人もいれば、暖かい人もいる」という位にしか なかなか感じられない。

          でも、多少の誤解はあるにしろ、これだけ多くの外国人が口を揃 えて言うの

          だから、やはり我々は特に排他的な性格をもった民族なのだろう。そういえば、

         外国人に参政権がないのもその現れだ。言葉ができないとか、歴史的に異民

         族とあまり接した経験がないとか理由はいろいろあるものの、これだけたくさん

         の日本人が外国に出て行ったり、世界中からあらゆるものを買い漁ってる時代

         なんだから、このままで許されるわけはないと思う。
 

          それから一旦自室に戻り、2時間ほど休憩してから夕食に呼ばれた。テーブ

          ルの席には正副マネージャーさん達の他に、ニューデリーに駐在しているオー

          ストラリア人商社マンと部下のインド人も一緒だった。紅茶の買い付けに来た

          ようだ。全部で5人だ。

          オーストラリア人が同席するということは、英語のスピードが速くなる。

          食事中は、英語を聞き取るためにずっと会話に神経を集中していた。オース

          トラリア人がユーモアのある人で、座を盛り上げいてたから、白けさせないた

          めにも僕も笑うべきところでは一緒に笑わなくてはならない。そう言っても話の

          半分は聞き流して、ナンとカレーがおいしかったので、一生懸命に食べていた

          が。

          2日前のアンボーティアでの、(やや)上流階級の夫婦たちとの「懇談会」と比

          べると、こちらの方がはるかに気楽で会話も楽しかった。いい意味で僕のこれ

          までの人生では得られなかった種類の交流だった。

          食事中に一つ感じたことがあるのだが、それは食事の給仕をしてくれる下男

          風の男性に対する態度で、彼がカレーやご飯を皿に盛ってくれるときに、僕と

          オーストラリア人は必ず「ありがとう」と言うのに対し、インド人は絶対に言わな

          い。上級インド人たちが下級インド人を見る目つきは非常に冷たく、態度や言

          葉使いも(僕からすると)チョー横柄なのだ。「これは仕事でしているのだから、

          一々礼なんか言う必要はない」という以上のネガティブな感情を態度からひし

          ひしと感じる。アンボーティアのムトゥもそうだったが、ここチャモンでも下男風

          の男性は裸足だった。サンダルが家の外に置いてあったから、もしかしたら、

          室内では下男は履物を履くのが禁じられているのかもしれない。インドの身分

          制、階級社会は僕が思ったよりも遥かに強烈で苛烈なものなのか、と思わさ

          れた。

          翌朝は7時に起きて、オーストラリア人と助手らと一緒に工場の見学をした。

          僕はすでにアンボーティアで一度見学をしているので、送風機やローリングマ

          シーンも見るのは二度目だ。見学していると、熱心に質問してメモを取るオー

          ストラリア人にネパール系の副マネージャーさんが早口で説明し、マネージャー

          のチョーさんは、僕と黙りがちで一緒に回ることになった。二人を見ていると、

          副マネの方が押し出しも強くよく喋るのに比べ、マネージャーのチョーさんは

          無口な上万事が控えめで、副マネに押され気味という印象を受けた。管理者、

          技術者としての技量は全くわからないが、どこか「だめマネージャー」という感

          じがして、チョーさんとは妙に気が合った。

          副マネがオーストラリア人と部下のインド人を連れて茶畑見学に行き、その間、

          僕とチョーさんは宿舎でペプシを飲んだ。名門茶園のマネージャーさんである

          にもかかわらず、チョーさんはペプシが好きなんだそうだ。オーストラリア人一

          行が見学からてきたら、僕をダージリンまで送ってくれることになっている。

          「いやー、マネージャーさんも大変ですね。こうやって毎日のように訪れるゲス

          トを案内したり、説明しなくちゃいけないんだから」と僕は言った。

          「うん、でもね‥‥、それも我々の義務だから」と苦笑してチョーさんは言った。

          「ただ案内するだけならともかく、接待もしなくちゃならないのはキツクないです

          か」

          「(そうそう、そうなんだと言う風に頷いて)確かにキツイけど、これも仕事なん

          だよ」とチョーさんは言った。

          茶園のマネージャーという仕事は、(今は暇そうにしているが)けっこう大変な

          仕事みたいだ。接待が苦手なチョーさんだが、この先もチャモンのマネー

          ジャーをずっと続けていきたいと力強く言っていた。もちろん、彼にはダージリ

          ンの茶園で、おれ達がNo.1だという自負がある。キャッスルトン? あんなもん

          一シーズンでほんの少量いい茶を作れるだけじゃないか、あとは全然大したこ

          となんかない、名前だけだ。年間を通して最高級を作ってるのは我々だ、と余

          裕の表情で断言していた。

          最後に、チョーさんが僕に訊いた。

          「チャモンに来てどうだった? いつか、また来るかい?」

          「はい、楽しかったし、いろいろ勉強になりましたよ。まぁ、今度チャモンに来る

          ときは、今よりもっと大量に買い付けができるようになってからですね。いつか

          10トンぐらい買いますよ」と言って僕は笑った。

          「おお、是非そうして欲しいね」とチョーさんも笑った。「それで、今は何キロぐら

          い買っているの?」

          「まだ片手で十分持てるぐらいですよ」

          「じゃあ、僕がここで働いている間に来てくれよな、ハハハ」

          そう言って僕たちはガッチリ握手をかわした。‥‥終わり
 

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